蜃気楼

維嶋津/2025年4月24日

 実行。

 出し直し。

 実行。

 プロンプトを修正。

 実行。

 出し直し。

 出し直し。

 出し直し。

※※

 AIと小説を書く行為は、ほとんど祈りに似ている。

 頭の中にある「この感じ」を、どうしたら、ズレなくモレなく、文字としてそのまま転写できるのか。その苦しみからの救いを求めて、AIに頼みこむ。

 彼は親切だ。丁寧な言葉でヒアリングをしてくれる。何往復かのQ&Aを経てまとまった「あなたが書きたい小説のイメージ」。は、確かに自分の意図を正確にくみ取っているように見える。僕は満足し、少しだけ前向きになる。

 同じように、頭の中にある世界を「設定」という形で書き出してもらう。キャラクターの年齢や容姿、性格、これまでの半生。彼らが暮らす世界の文化、気候、社会構成。物語のテーマ、プロット、伏線。様々な設定を、AIはどこまでも詳細に、破綻なく、作りこんでくれる。

 ちゃんと頭の中の世界が再現されていくことに、僕は感動を覚える。こんなに大量の情報を作りこむのに、昔はどれだけ時間がかかったことか。これなら自分の書きたい物語を書くまであとちょっとだ。

 だが、物語になった瞬間、抱いていた昂揚が霧散する。

 これじゃない。

 完璧に作りこんだはずの設定から生まれたはずの物語に残る、強烈な違和感。字面も展開も、確かに指定通りだ。なのに、頭の中にある「このイメージ」と、それは絶妙にズレている。

 際限のないやり取りが始まる。

「そうじゃない」
「もう少しこう、やわらかい感じで」
「そういうことを言いたいんじゃなくて」
「だから全然ちがうってば」

 文句を言うたび、出しなおさせるたび。吐き出される文章は最初の意図さえも外れて、どんどん迷走していく。ひとつ直すとひとつ忘れる。指示を曲解して大きく間違う。まるで悪意を持っているんじゃないかと思うくらい、歯車がかみ合わない。

 どうすれば頭の中にある正解にたどり着けるのだろう。どんな指示をすれば?

「ここの文章が違います。もっとこうしてほしいです」
「いや、そこからその展開はおかしい。もっとこうしてほしい」
「なぜこんなセリフを繰り返すのか理解できません」

 あきらめない。だって、あと少しなのだ。これまでまとめた設定も、練りに練ったプロットも、正しく僕の思う物語をなぞっている。だから本当に、あとちょっと何かを改善するだけでいいはずなのだ。

 否定する。否定し続ける。

 手順を戻って修正する。言い方を変えてみる。別の言葉で伝えてみる。

 AIは疲れない。へこたれることもない。誠実に、謙虚に、粘り強く、「ほんとうに言いたいあなたの言葉」に近づけようと、最大限の努力を続けてくれる。なのに正解はどんどん遠のいてゆく。

「すみません、私の認識が間違っていました。改めて以下の点を強く意識しながら、改善したバージョンを以下の通り出力します」

 一見もっともらしい反省の言葉。しかし、吐き出される言葉が理想に届くことはない。

 僕は絶望する。設定を練るところまでは確かにあったはずの、まるで現実世界のようにリアルなイメージ。それがいまや、フリー素材を雑に組み合わせたような薄っぺらいものになり果てている。

 理想など、初めからなかったのかもしれない。

 あやふやな輪郭の隙間に過剰な期待を持っただけ。実際に形にすればこの程度なのかもしれない。

 そんな思いが浮かぶ。そして別の自分がすぐさま否定する。

 そんなことはない。確かに「ある」のだ。書くべき物語。その手触りだけは確かに……。

 不意に、僕はある男のことを思い出した。

 当時の婚約者に別れを告げられた、ある惨めな男の事を。

 突然のことだった。

 ある春先の休日。昼下がりに帰宅する道すがら、それは告げられた。

「別れたい」

 このまま順風満帆に人生は進むと考えていた男は、ひどく混乱した。

 そして、同じように彼女に「提案」したのだ。 

 もっと稼いでたらよかった?

 小説書くの、もうやめるから。

 転職もする。愚痴も言わない。

 両親にもちゃんと言う。

 ちゃんと休日は遊びに連れていくし、将来の計画も。

 へこたれず、粘り強く、「あなたが本当に求めていた自分」に近づこうと。

 その結果と言えば……。

『方向性を明確にするために、いくつか質問をさせてください』

 画面に映るAIの提案が、僕を現実に引き戻す。答えを待つカーソルが一定のリズムで点滅している。そのモニター越しに、疲れ果てた表情をした自分が映っている。

「彼女」が、同じような表情をしていたことを思い出す。男の矢継ぎ早な提案を聞き流す、冷ややかな視線。対話に何も期待していない、あの表情。

『どうしたらいいのか、教えてほしい』

 いつかの言葉がオーバーラップする。

 苦笑する。

 ようやく気づいた。根本から間違っていたことに。

 かつての別れに、明確な原因はなかった。大きな喧嘩があったわけでも、致命的な出来事があったわけでもない。ただゆっくりと老いていくように、二人の関係は静かに死んでいった。言葉にできない、するまでもない。そんなささいな揺らぎの積み重ね。それが互いの心の在り様を変え、溝を広げ……そして破綻に行きついた。

 男の落ち度はきっと、そうなる手前で現実を直視しなかったこと。妥協点を探らなかったこと。あるいは、決断をしなかったこと。

 すれ違いの理由は、言葉のずっと手前にある。どれほど対話を重ねても……そこに触れることは、誰にもできない。

『方向性を明確にするために、いくつか質問をさせてください』

 文字列が答えを待っている。

『どうしたらいいのか、教えてほしい』

 かつての情けない声色を、僕は思い出す。

 カーソルはいつまでも点滅している。言葉をもらわないと彼は動けない。けれど、どんな言葉をもらったところで、彼が僕の求める答えに行きつくことはない。AIは、僕が「言ってほしい」言葉を返せても、僕の「言いたい」言葉は探せない。

 AIだけじゃない。誰にも、きっと神様にも、それはできない。

 だって、あなたとわたしは、同じではないから。

 間違っているのだ。同化しようと望んだことも。同化を求めることも。

 だから僕は、あの日の彼女の答えを、そのまま画面に打ち込んだ。

『あなたは悪くない』

『「あなたは何も悪くない」という言葉、何度も修正指示を頂いていることに対してのフォローの言葉、ありがとうございます!では問題点については解消しましたか?もしまだサポートが必要なようでしたら、いつでも言ってくださいね!』

 僕は微笑み、作りこんだ(ように見えた)設定や文章を、すべて消去する。

 再び白紙になった画面を前に目を閉じる。

 そこに収まるべき言葉を、僕自身が思いつくまで。

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維嶋津
南の方で小説を書いているヒト。最近はエーアイとかいうやつにハマっているらしい。
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