ボロボロのモレスキン

米村奈穂/2026年3月25日

 20年前に綴った山行ノートを開いた。仕事の資料を探していた最中に見つけ、しばし読み耽ってしまった。

 アウトドアメーカーで働き始めたばかりの頃。自社メーカーの登山用品を持って山に登ることが楽しくてしょうがなかった。道具を持っているだけで、どこまでも高く遠くへ行ける気がしていた。連休のたびに交通費を切り詰めて北アルプスへと向かった。

 登る山が決まるとまずノートを用意する。愛用していたのはモレスキンのカイエジャーナル。胸ポケットに収まる薄さと軽さが気に入っていた。裏表紙のポケットには列車のチケットやテント場の番号札などを記念に入れることができ重宝した。まっさらなノートの1ページ目には「槍・穂高縦走の巻」、「白馬から針木まで、歩けるだけ歩いてみる」など、山ごとにタイトルを入れ気分を盛り上げた。2ページ目は山行当日までの予定を書き込むカレンダーに。山道具の買い物予定からミーティングと称した飲み会まで、まるでクリスマスを心待ちにするアドベントカレンダーのように準備予定を書き込み指折り数えた。買い物リストのページには、今ではタンスの肥やしと成り果てた道具たちが並んでいた。

 準備段階ではこんなに楽しみにしていたとある山行は散々なものだった。端的に言えば、使いこなせもしない道具を揃えたことで自分を過信していた。友達は高山病にかかり、追い討ちをかけるように悪天候が続いた。一晩中テントが飛ばされそうな暴風雨にさらされ、一睡もできずに朝を迎えた。

 登山口から始まる日記の文字は徐々に乱れ、そこには写真には映らない赤裸々な自分の胸の内が綴られていた。高山に慣れていない友達を危険な目に合わせてしまったことへの懺悔。それでもなお自分の欲求を満たすために上へ上へと向かおうとしたことへの後悔。未熟な自分を自分で打ちのめしている言葉が並ぶ。今の私はそんなことはすっかり忘れ、当時の自分はもっとキラキラしていたと思っていた。山から戻り、悪天候を乗り越えた武勇伝だけを人に伝えたことは覚えている。まだSNSもなかった時のこと。おかげで、その瞬間を残す手段としてノートがあり、これらの自分の中にだけ留めた言葉たちが残った。

 その後私は山道具を売る仕事を辞め、文章で山の楽しさを伝える仕事に就いた。山に登り、写真を撮り、地図に時間と軌跡を残し、まるで山のカタログをつくるようにデータを蓄積していく。山を取材する際は今でもノートを持参するが、それはモレスキンからコクヨの測量野帳に変わった。胸ポケットに収まるサイズ感は変わらないが、ザックの中でどんなに雑に扱ってもへたれない。

  ノートには、「山頂から〇〇が見える」「展望良好」「花の群生地あり」「分岐を右へ」「トレース不明瞭」など、読者に伝えるべき山のおすすめポイントや注意点などが淡々と並ぶ。自分の胸のうちなどそこには一つも見当たらない。あまり人気のない山、映えない山は使えない山となり、手元に残る自分の仕事を見返すと、いい顔をした完璧な山だけが並んでいる。原稿を書く時以外にそのノートを開くことはほぼない。モレスキンよりしっかりした体裁のノートの中身は、山に何かを置き忘れてしまったかのような軽さだ。

『「身体」を忘れた日本人』という養老孟司とC・Wニコルの対談集で養老孟司は、子どもから自然を取り上げると人間の世界だけとなり、人間世界でのマイナスの重さが2倍になると述べている。人間の世界にプラスとマイナスの面があるように、自然の中で遊ぶ時も楽しい経験だけでなく、雨に濡れたり石につまづいて転んだりとマイナスの面もある。つまり、世界は4つあるはずだと。そこから自然を取ってしまうと世界は半分になり、マイナスの重さが倍になるというのだ。本を読んだとき、山で偶然出会った知人の言葉を思い出した。

 その人は同じ山に足繁く通い、日の出と夕景の写真を専門に撮るカメラマンで、こちらはまだ登り始めたばかりという早朝の山中で、すでに下山中の彼とすれ違った。写真の成果を尋ねると、天気が悪くうまくいかなかった様子だった。それでも、「山では雨だとか曇りだとかきついとか、どんなに愚痴を言ってもそれは人に対してじゃなくて自然に対してだからいいよね」という。彼の世界はちゃんと4つ存在するのだ。その4つを行き来して、最高の1枚に辿り着くのだろう。そしてその1枚を見て、自分の世界を広げた人がいるのかもしれない。

 翻って自分の仕事はどうだろう? 何を人に届けられているだろうか。私の仕事と同様に、周囲を見渡せば表に発信されている山はどれもいい顔をしていて、登る人も皆笑顔だ。無意識に誰もがどこかの誰かと同じ景色を探し、同じ角度で笑顔の写真を撮っている。このままでは世の中は、なんとなくいいものや、なんとなくよしとされているもののコピペでできてしまい、いつの日か自然界も人間界も、それぞれプラスの世界だけになってしまうかもしれないと想像すると少し空恐ろしい。

 私もかろうじて4つの世界をジタバタと行き来し、そこで見聞きしたもの、感じたことを削って削って頭から指先に移し文章にして人に届けている。削れば削るほど、自分が本当に伝えたかったことだけが残り、人に伝わるものが書ける気がする。しかし削るには、20年前に感じたような人には言えない感情も必要で、カタログのようにきれいに羅列してきた山々でもそんなさまざまな感情を抱えて登っていたはずだ。マイナスの世界を体験して初めてアウトプットできる本当のプラスの世界。私が届けた山に登る人もきっとそこで、私と同じように人には言えない自分でも表現しえない感情を持ち帰ってくれていると願う。自分の中の本当は、誰にもつくれないし任せられない。そうやってもがいたものを人に届けたい。そう納得してボロボロのノートを閉じた。

米村奈穂のアバター
米村奈穂
幼い頃より山岳部の顧問をしていた父親に連れられ山に入る。アウトドアメーカー、山雑誌『季刊のぼろ』編集部を経てフリーライターに。週末は糸島市前原にある「山とスナック」のカウンターに立つ。
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