娘からの贈り物
花鳥あすか/2026年7月20日
花奏の将来は明るかった。花のように奏でる、と書いて「かなで」。そう期待を込めてつけた名前に沿うように、花奏は小さなころから国内外で賞を獲り続けて、イタリアの名門音大へあっさりと入学した。
花奏の才能は、耳の良さによるものだったのだろう。いや、動物的な勘の良さ、あるいは第六感と言うのがふさわしいかもしれない。
花奏が6歳のころ、いきなり野良猫を連れ帰ってきて、「この子、音が変だよ」と真剣な顔で訴えてきた。野良猫は元気よく花奏を引っ掻いていたけれど、小さな花奏があまりにも悲しそうに言うから、仕方なく動物病院に連れて行った。結果、野良猫は心臓が弱り始めていて、野良猫として生きていくのは難しいと医者は言った。驚いている私を涙目で見上げる花奏に負けて、野良猫は「カノン」として、私たちの家族になった。
そんな花奏が、どうして死ななければならなかったのか。答えは分かっている。優しいあの子らしく、友達を庇ったからだ。楽しいはずの雪山で、背後から迫るスキーの音の異変に気づいて、あの子は友達に体当たりして、身代わりに崖から落ちた……。
花奏がイタリアに行ってから、3年間欠かさずに続けていた「元気でやっていますか」「元気だよ」の手紙のやり取り。最後は、返事の代わりに花奏の変わり果てた身体が、無言で帰ってきた。
私が花奏なんて名前を付けたから。私が海外なんかに行かせたから。私が優しい子になんて育てたから……。私のせいで、花奏は死んでしまった。どれだけ寒くて、痛かっただろう。
花奏の部屋は、留学に行く前のままだ。私は敢えて、時計の電池を換えていない。幸せだった時を止めて、虚しく現実に抗おうとしている。静まり返った部屋。花奏という音が消えた世界。沈黙が息苦しくてたまらなくなり、発作的に床を踏み鳴らした。
眠っていた家具たちは突然の音に驚いて、各々音を出した。その中で、私はカタ、という弱々しい音を本能的に捉えた。
音の正体は、花奏が高校生1年生の頃に一生懸命集めていたカプセルトイの電話機だった。カタ、というのは、さっきの振動で受話器が外れた音だった。
昔の光景が、一気に広がる。
「花奏、どうしてこればっかり集めるの? 他にも可愛いキャラクターのストラップとかあるよ?」
「音が、聞きたいの」
「でもこれ玩具だから、音は出ないよ?」
「ううん、出るよ」
「え? でも説明書には音は出ないって……」
「うん。でも出るよ。生き物には、そういう力があるから」
あの時、言っていることの意味はわからなかったけれど、花奏の横顔があまりに真剣で、昔カノンを連れてきた時のあの子を思い出したんだ。そして今になって思えば、花奏がおもちゃの電話機を集め出したのは、カノンが死んでしまった直後のことだった。
そしてイタリアへ発つ時には、どれ一つとして持って行こうとはしなかった。あんなに一生懸命集めていたのにと不思議がる私に、「全部お母さんにあげる!」と笑顔で返した花奏……。
まさか。私は徐に外れた受話器をつまみ、そっと耳に当てた。
花奏、嘘なんか一度だってついたことのない子。優しくて賢い、私の自慢の……。
涙が滲んだその時、声がした。
「ママ、私は元気だよ」
私は驚いて、小さな受話器を落としそうになった。
……本当に、出た。
でもこれは、私が求めた音で、花奏が言っているわけじゃない。だって花奏は、死んでしまったんだから。
「本当は、返事を書きたかった。ママの涙が落ちても、私の文字が、紙がそれを受け止められるように。でも、魂はペンは持てないから」これも、私の頭が作った都合のいい音。
「……それでも魂は、震えることができる」
私の目が、見開かれる。
音は振動だよね。それなら、魂はどんな音を出すんだろう? だって魂は、震えることができるじゃん?
花奏がよく言っていた言葉だ。
この音が花奏と私、どちらの魂の震えなのかは分からない。どちらにせよ、私の涙は止まらない。
「ほらママ、出たでしょ」
少し誇らしげに変わった音が、私の涙を一層強くする。

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