こえのゆく先

Asuna/2026年4月12日

 もし、心にスピーカーが付いていたとしたら、もっと生きやすかっただろうか。心の奥底で暴れる“こえ”を、すべてそのままぶちまけられたら良いのに。そんな風に思ったことはないだろうか。私はずっと、そう思って生きてきた。

「声が小さいから、自信がなさそうに見えるよ」

 反射的に「うるさい!」と心の中で叫ぶ。わかっている。わかっているけれど、どうにもならないのだ。

 昔から、何かを主張するのは苦手だった。声を出そうとすれば、その瞬間鍵がかかったかのように喉の奥が開かなくなってしまう。そして結局、出てくるのは乾いた笑いだけだった。

 外に出せなかった言葉が、心の中でズンと質量を増してゆく。それが積み重なり、次第に水分でひたひたになったスポンジのように重たくなって、ある日突然あふれる。「本当に学習しないな」と、毎度のことながら情けない。

「いつも“大丈夫”って言うよね。それ本当?」

 職場の先輩にそう言われたときですら、私は例の乾いた笑いでお茶を濁した。多少きつくても気合で何とかなると思っていたし、実際何とかしてきた。自分の本音で人間関係や心をかき乱すよりも、すべてが円滑に進むなら、それで構わないと思っていた。

 そんな私も、ある日ついに心の“こえ”を無視するわけにはいかなくなる。きっかけは、夫との結婚。

 一緒に住むようになって距離が近くなった分、私は本音を抑え込むことが多くなった。夫からすると、原因もわからず妻が不機嫌になっているという状況。

 小さなすれ違いが増えてゆく。ある日とうとう感情を抑えきれなくなって号泣し始めた私に、夫は言った。

「思ったこと、言ってよ」

 それができれば苦労はしない。やっぱり、声が出なくなるのだ。昔、親子喧嘩をしたときもそうだった。友達に、自分が嫌だと思うことを伝えようとしたときも同じだった。そして何より、やっと絞り出した“こえ”も、まともに聞いてはもらえなかったではないか。

 だんだんと悲しみが、理解されないことへの怒りに変わってゆく。涙が止まらない。顔を腫らしながら取り乱す私に、夫は静かに切り出した。

「意見が気に入らなくて喧嘩しても、それで良いんじゃない? そういうものでしょう」

 一瞬心が静かになり、ひゅっと小さく息を吸う。ようやく見上げた夫の顔は、怒っているのでも、呆れているのでもなかった。

「一緒にいるんだから、そういうこともあるよ」

 ごく当たり前のように語られるその言葉に、これまで私が避けてきたと同時に取りこぼしてきたものが見えたような気がした。“問題なく付き合う”ことを優先してきた私は、その人と“この先一緒に過ごしてゆくこと”を考えたことがなかったのだ。

――このままではいけないのかもしれない。

 それから私は、少しずつ伝える努力をするようになった。けれど、当時は産後数か月で、心身ともに不調が続いていた時期。喧嘩になりそうになると、パニックで過呼吸を起こすこともあった。

 それでも、夫は根気強く私に付き合ってくれた。嗚咽で聞き取りづらい私の言葉を、ゆっくりと待ってくれた。伝えたことで不機嫌になったとしても、その後、ちゃんと私の意見を受け止めてくれたのだと行動で示してくれた。

 伝えて、泣きはらして、受け止めて。

 それを数年続けて、私たちは、やっと夫婦らしくなってきたように思う。鉄骨のようにまっすぐでいるよりも、ある程度揺れている方が案外上手くゆくのかもしれない。

 正直に言うと、まだ思っていることを素直に話すのは苦手だ。自己開示なんて本当に怖いし、“等身大の自分”なんてものには程遠い。窮屈さを感じる場面は、相変わらずちょこちょことやってくる。

 しかし、本音をすべて伝えることが正しいとも思っていない。まして、スピーカーなんか付けても心はラクにならないことを、今の私は知っている。大切なのは、この先誰と一緒に過ごしてゆきたいか、そのために“こえ”をどう相手に渡すのか。そういうことではなかろうか。

 夫には、本当に感謝している。これからも一緒にいられるように、“声”に“こえ”を乗せて話す努力をしなければ。いくら不器用な私でも、これだけは苦笑いで済ませてはいけない。それだけは、確かだ。

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Asuna
福岡県出身のフリーライター。パワフルな2児の母として子育てに向き合いながら、Webメディアでの編集・取材・執筆に幅広く携わる。マーケティング視点を生かし、読み手に届く記事づくりを行なっている。
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