きこえてきた、人生とか、川光る、5月の

valo akari takaoka/2026年8月20日

 小倉の川沿いにある小さなお店で、萌える5月の空気があまりに良かったのもあって、昼間からハイボールを注文した。キンキンのハイボールを手渡し、店主は続きを、とばかりにiPadで何かを再生し始めた。横目に、一口ごくりと飲んで、カーッと鳴いた私はこのときようやくその音声にピントが合ったのだ。 

 それは女性だったか、男性だった気もする、AI音声で読み上げられていた。どうやら銀行の話のようだ。半沢直樹、そんな感じのカタルシスコンテンツか。私は銀行のことは「涼しくて夏場は助かるな〜」くらいにさっぱりわからない大人ですので、ちょうどいい肴だなと思い耳を傾けることにした。どうやら地方銀行の課長だか係長だかが醜悪で高慢だった故に、極太取引相手が愛想をつかし、ここに預けた全ての財産を引き落とす!すぐに!今ここで!という場面。それで地方銀行側は大慌て、『「待ってください」「考え直してくださいよ」「何日か待ってもらえませんか」「いいえ無理です」と突き放した。』AIは淡々と読み上げていく。

『ケンジは膝をつき、』…ダメだったみたいだ。何億というお金が銀行から消えて大損失らしい。考える時間もなく、コミュニケーションも何もない。ただケンジの人生にはこの大損失が決まっていたのだからAIはそれを読み上げた。それにしたってものの2分もしないうちにケンジの銀行員人生が崩壊していく。AIは容赦なく『(盛者必衰的なこと)』を言っている。

 目の前の雀が虫を捕まえて飛び立った。キラキラ光る川。その向かいの岸で草刈りが行われていて、二人、一人は刈って、もう一人は草が人に当たらないようにカバーのようなものを左右に動かしている。

 この間にも『ケンジは号哭した。』『ケンジのことを慰める人はいなかった。』ケンジは散々な目に遭い続けている。さっきまでケンジが同窓会で自慢げに同級生に話していた人生譚とこれからの展望が瓦解していく。数分前には人生の絶頂というように笑っていたケンジ。あまりにその淡々と人生が変わる様に私は一息にハイボールを飲み干し、その店を後にしたのだった。私は彼がケンジだったのかも覚えていない。

 なぜこの体験が妙に印象的だったのか。あまりのあっけなさに「ワハハ、ケンジざまあみろ」とか思ったからでは全くない。

 日々私たちが、目に、耳にしている、ふれる、他者たちの声、そして自分からも発される声に、確かにあり、またはあった豊かさを私たちはあまりに簡単に取りこぼす。そしていつか忘れてしまうものもその中にはある。私は文章を書くけど、この言葉をひとつ打つ間にも翻訳しそびれた言葉や情感がこぼれ落ちていることを知っている。これは人体機能の不全さや言葉の足りなさの話ではない。だからこそ、まごつきながら、戸惑いながら、覚えていようとしたり、できるだけ間違わないように伝えてみようとしたりして、それでも間違う時もある。

 あの日、AIはまごつくことなく、スラスラと彼の人生を読み上げた。実際人は2分そこらで失職しないし、号哭しない。そんな人いたら流石に話聞くし、なんだったら一緒にカラオケとかいくし。私たちの人生をわかりやすく正確になど、どだい無理な話なのだ。

 もちろん私たちはすでに複雑だから、言葉が少なすぎたり、多くなりすぎたりしてしまう。言えないことや言わないこともある。そもそも言葉にならないものだってあるし、言葉を迷ってまごついてしまうこともある。例えば私と誰かのある種の言葉が通る道筋のようなものがあるとして、そのスムーズさには隔たりもあるし、隔たりがある上でさらにそれぞれの状況や体調や感情によってスムーズさは変動するだろう。私たちが紡ぐ言葉の全てがスムーズにはなっていないと考えた方がむしろ自然な捉え方なのかもしれない。しれないけどさ、自然だからって、複雑化してるって言われたら、どうしたらいいかわからなくなる。どうしよう。そう。でも、そう、どうしようもないことに、今もこれからも、過去も、私たちはまごつきながら、それでも生きてきて、きっと生きていく。

 あの日、AIの声によって、私は人の複雑さに逆説的に気づいた。虫を咥えて雀が飛んだときに感じたように、私の人生もあっけないものになるのだろうか?無感情に言い切られるものなのだろうか?AIの側にはそんな終末に似た諦念も感じる。だからこそ人は輝いている。今_いまここで書いている自分の時間を指しながら、AI音声との出会いを私はそう結ぼうと思った。けれど、そうしたくはなかった。私のこえはそう言っている。しかし、それはこの文章が今からまさに迷うことを意味する。人の生は複雑で、言葉はいつも足りない。なのに、または、だから、終わりがくる。くるから仕方ない。仕方なくても、それでも強引に結ぼうとする力に抵抗し、私は肯定したい。言い切りたくないし、決めつけたくない。誰の機嫌も取りにいきたくはないし、言葉にならなくても言葉を奪われたくない。そう。私は強引に結ぼうとすることそのことに抗いたいのだ。客観的に見れば、最後は仕方なさの中に含まれてしまったとしても、それがどんなに情けなくあろうとも、それでもぎりぎりまで抗っていたい。抵抗の最中にまごついてしまう時間があることを私は知っている。抗ったからってどうなるかわからない。スムーズにはいかない。それでも、それでも、それでも。

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valo akari takaoka
福岡と島原を拠点に、霊性やつくることそのものが祝いなこと、曖昧さ、傷、公共性などをテーマに陶芸をしています。
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