書籍紹介『さみしくてごめん』
こえラボ編集部/2025年7月25日
心の“こえ”に目を向けてみるとき、耳を傾けてみるとき。自分の内側を、のぞいてみるとき。
“こえ”をすくい取るには、誰かの“声”に触れて、相対的に自分の中に浮かび上がってくるものもあるかもしれないと、感じるときがあります。
自らの内側で響く“こえ”は、まだ形をもっていないと、“こえ”としての存在を認識することができません。でも、誰かの“声”によって光をあてられて初めて、その輪郭の欠片に気づくこともあると思うのです。
世界の奥行きに目を向けてみたい、問うてみたい。そう思わせ、寄り添ってくれるような書籍をご紹介します。
こえラボ編集部の葉山です。
本書は、哲学者の永井玲衣さんが大学院在学中から書き留めていた言葉たちをまとめた一冊です。
日記形式のものと、テーマ別に書かれた文章が収録されており、新型コロナウイルス感染症が流行する前から、外出自粛が要請されていた感染ピーク真っ只中の時間もまたいでいます。
人と距離を取らなければならず、直接対面することが良しとされなかった毎日。
マスクの内側で多くの言葉を飲み込んでしまうこともあったあの日々の流れの中で、永井さんが言葉にして残した日常の“こえ”と“声”が、静かな文章で綴られています。
詩と植物園と丁寧な散歩が趣味だという永井さんは、「詩人に『見る』ことを教わり、哲学者に『聴く』ことを教わった気がする」と文中で仰っています。
生きているとどうしようもなく浮かんでくる、いくつもの問い。問うことのみが哲学なのではなく、問いについて誰かの“声”に耳を傾け、自分の内側に向き合い、また誰かに(問おうとせずとも)問い、あふれた言葉を受け入れる。
対象との間に距離を差し込み、離れてものを見る「批評」との対比として、自らの近くに手繰り寄せ、あるいは近づき、対峙し、丹念に眺め、さらにもっとよく見ようとすることも、「哲学」のひとつの面なのかもしれないと感じることがあります。
永井さんは「このことばたちは一体何なのだろうか。書く必要のないことばたちなのだろうか。たしかに、何も意味がなさそうに見える。最初に収録されていた日記たちは『ただ生きているだけ日記』と呼んでいた。日記は多くの場合、その日に成したことを書く。(中略)だがやはりわたしにとって、これらは書く必要があったのだと思う。いや、書く必要があったのだと言いたい(まえがき要約)」ともお話されています。
“声”にすると、私たちは“こえ”を形に残すことができます。“声”にしなかったら、“こえ”は「ない」ものになってしまうのでしょうか。
それは対外的に言えばきっとイエスで、でも、生きているあなたの内側にも生にも蓄積されていて、どこにも「ない」わけではないと思うのです。
「さみしくてごめん」は、あなたに積もっている“こえ”の輪郭を照らし、存在に気づくきっかけをそっと隣に置いてくれます。そして認識された“こえ”と向き合うことによって、自己との対話も、同時にもたらしてくれるのではないかと思います。
こえラボは、そんなあなたの“こえ”を聞いてみたいです。あなたにとって“こえ”を“声”にするきっかけの場でもあれたらと、そう、願っています。