言霊
来夏/2026年2月22日
学生時代に聞いたラジオのなんでもない一場面、「○○さん、ラジオは喋らないと、居ないのとおんなじだよ」という言葉が、何故だかずっと、頭の片隅に居続けている。
ラジオを聞くのは好きだが特別好きってほどではないし、ラジオをする側になりたいような憧れも、夢に掲げるほどではない。それなのに、ラジオをする人の心構えその1、みたいなこの言葉が、ずっと私の中の「大事な考え方」をしまっている引き出しにある。
私は「言霊」…のようなものを信じている。
この感覚を最も近く表現できる言葉を、これ以外今の私は持ち合わせていない。
「(気持ちは)言わなければ、思ってないのと一緒」という言葉がある。
基本ネガティブな意味で使われることが多いこの言葉だけれど、私はとても良い言葉だと思っている。どんなに自分の中に汚い感情や醜い欲望がいても、口にしなければ、それは誰にもわからない。そもそも、存在しないことになる。つまり、「自分が本当は思いたくない」「他人に見せたくない」感情や思いは、口にしなければ「思っていない」「存在しない」ことになるのだ。沈黙は金。確かに言わなけばいけない思いや感情だってあるけれど、日々生きる世界の角は自分が居る範囲くらい、丸くしていきたい。
それに、「自分」というものは恐らく好きな方が生きやすい。自分を嫌いにならないために、私はたくさんの「言わない」をする。ただでさえ私は人より要領が悪く、仕事を覚えるのに時間はかかるし、シングルタスクでしか作業ができない。せめて性格や言動くらい、人様に恥じることがないような人間でいたい。
ネガティブでわざわざ口にしなくても良いことは口にせず。だからといって、嘘を吐くわけでもなく。変に正直な癖に前向きポジティブ人間ではない私は、「大丈夫?」「元気?」と人に問われれば「生きてる!」と返す。いつも何かに追われていて、胸を張って「大丈夫」とも「元気」とも言えないボロボロがデフォルトの私が答えられる言葉は、どうにもこれ以外、しっくりこない。
以下は私の中のイメージの話。
もしかしたら人によってはスピリチュアルめな話とも思われるかもしれないが、私としては気づいたらそういう感覚で日々を生きていたので、まぁ自分(これを読む貴方)とは違う星にいる、理解の及ばない火星人(これを書いている私)の話をうっかり受信してしまったとでも思ってもらえればいい。
私の中で、まだ口にしていない〈自分の中にある言葉や感情・思考〉は、輪郭がぼやけていて、まるで雲か靄(もや)のように、心の中をふわふわ漂っている。中にあるうちは、何を考えていたっていいし、どの言葉を発するかの選択=言葉の制御ができる。
しかし、何か言葉・感情を体外に出す(声に出す、文章にする)と、その言葉や感情たちは明確な形を持ち、勝手に手足を生やしてひとりでに歩き出す。つまり、私(発言者、書き手)の管轄外になる。だから、私から出た言葉は受け取った人によって解釈が変わり、必ずしも私の言いたかった通り伝わるとは限らない。
(ここで本当に不思議なのが、「声に出す」という行為は言葉を目に見えるものにするわけではないのに、「声に出す」ことによって思いや感情がしっかり固形の「形」に変わる感覚があること。恐らく声に出すことで明確に言語化されるから、そう感じるのだろうけど、なんだか不思議な現象だよなぁと考えるたびに思う。)
そしてもうひとつ。言葉を体外に出すことによる一番の危うさは「思っていなかったこと、思いたくなかったことが『思ったこと=存在すること』になる」こと。
小さなことで言えば、「疲れた」。まぁ普通疲れているからつい口から漏れる言葉なのだろうけど、実際たいして疲れを感じていない時にもふと出てきてしまうことがある(私だけかもしれないけど)。そんな時に「疲れた」と発すると、途端に身体が「疲れている」ことを認識し始め、なんだか足が痛い気がしてきたり肩の凝りが気になりだしたりする。
声を体内にとどめておくうちは、「疲れた」はぼんやりした「可能性のようなもの」程度にしかならないから、疲れ以外のポジティブな感情(楽しいだったり達成感だったり)に目を向けることもできるし、そもそも意図的に目をそらすことだってできる。
でも、体外に出してしまえば。やつらは形を持ってしまう。言葉が自我を持つ…と言うとどこか違う。とにかく生みの親である私とは違う別の生き物になって、私の頭の中に勝手にずっと居座ってくる。今度は雲や靄のような形ではなく、手足の生えた、制御できない何か――言うなれば「言霊」となって。
だから、私は不用意に私の頭を乱すやつを産まないためにも、「言わない」をする。
これが私の信じる「言霊」である。
私はこの「言霊」的考え方についての話を、友人一人にしか話したことがない。そもそもこんな話題に辿り着くまでにもっと一般的な面白話や価値観の違いで議論できる話題が余りあるし、辿り着いたとてあまりにも私の感覚的かつ抽象的な話過ぎて説明も難しい。現に、もう1800字ほどの文字を使った。これで言葉が足りたのかもわからない。
しかし、なんとなく、この考え方を文章にして、あえて形を持たせてみようと思った。
形を持たせ、私の中から取り出して、私ではない別の生き物として、外から観察してみたくなった。
この場所に合わせて言うなら、「こえ」を「声」にしてみたくなった。
だから、これはただの自己満足な文章でもある。
勢いのまま書いたこの文章を、明日の私はどう受け取るのだろう。いつかもっと先、こんなことを書いたことさえ忘れた頃に読み返す私は、何を思うのだろう。
いま、これを読むあなたは何を思うのだろう。
いつかの私は「もっと今なら違う言葉でコイツにちゃんとした形を持たせられるな」とか「あーそんなん思っていた頃もあったな」とか、そんなことを思って、私の中のどこかの引き出しにまたしまうのだと思う。
あなたに私の星の言葉が――この声が、ただ届くことを祈る。

